ホームページを御覧頂き有り難うございます
泉北ニュータウンを生涯の仕事場と決めて44年が過ぎました。
ニュータウンを思えば開発される前の風景と、子供の頃の自分が浮かんできます。
昭和22年生まれの私、日本のすべてが貧しい時代だったとしても、我家が群を抜いて貧しいと知ったのは物心が付いた小学生の頃からでした。兄や近所の人からもらった使い廻しの教科書 払えない給食代。未納者の名前が書き出されている黒板。周りの目を気にしながら食べる給食の時間、絵筆がない、ノートがない、いつも「忘れました」としか言えない私に「取りに帰れ」という教師。遠足の日は誰もいない教室での自主登校、いつも何かに怯え、通うには足の重い学校でした。私の心が弾む時、それは放課後、家にも帰らずカバンを投げ、日暮れを忘れて遊びました。春はメジロが群れ飛び、空には高くひばり舞い、小川にメダカ、鯉や子鮒 田には蛙が雨を請い、水辺にタニシ、ミズスマシ、枯れ木に秋の百舌鳥の声 川にはススキ、うさぎや狸 犬がイタチを追いかける泉北ニユータウンの前風景が広がっていました。
時が流れ 我が家の暮らしも少し改まり 目線を都心に向ける高校生になった頃、かつての遊び場は巨大な赤茶色の帯に延々と切り裂かれ、殺伐とした風景に変貌していました。私と泉北ニュータウンとの初めての出会いでした。やがて、その帯は泉北1号線と呼ばれました。
泉北ニュータウンは多くの人々の暮らしを変え、自然を破壊し、動植物を追いやり造られた街といえます。そこに住み暮らす私達には、破壊した原風景に対する責任があると思っています。それを自覚しながら、泉北ニュータウンの活性化を進めていくつもりです。
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ニュータウンを思えば開発される前の風景と、子供の頃の自分が浮かんできます。
昭和22年生まれの私、日本のすべてが貧しい時代だったとしても、我家が群を抜いて貧しいと知ったのは物心が付いた小学生の頃からでした。兄や近所の人からもらった使い廻しの教科書 払えない給食代。未納者の名前が書き出されている黒板。周りの目を気にしながら食べる給食の時間、絵筆がない、ノートがない、いつも「忘れました」としか言えない私に「取りに帰れ」という教師。遠足の日は誰もいない教室での自主登校、いつも何かに怯え、通うには足の重い学校でした。私の心が弾む時、それは放課後、家にも帰らずカバンを投げ、日暮れを忘れて遊びました。春はメジロが群れ飛び、空には高くひばり舞い、小川にメダカ、鯉や子鮒 田には蛙が雨を請い、水辺にタニシ、ミズスマシ、枯れ木に秋の百舌鳥の声 川にはススキ、うさぎや狸 犬がイタチを追いかける泉北ニユータウンの前風景が広がっていました。
時が流れ 我が家の暮らしも少し改まり 目線を都心に向ける高校生になった頃、かつての遊び場は巨大な赤茶色の帯に延々と切り裂かれ、殺伐とした風景に変貌していました。私と泉北ニュータウンとの初めての出会いでした。やがて、その帯は泉北1号線と呼ばれました。
泉北ニュータウンは多くの人々の暮らしを変え、自然を破壊し、動植物を追いやり造られた街といえます。そこに住み暮らす私達には、破壊した原風景に対する責任があると思っています。それを自覚しながら、泉北ニュータウンの活性化を進めていくつもりです。